2017年2月12日日曜日

古いものは【しつくろって】

*本日生きた証*
 AM:惰眠を貪る(……ん? リバイバル?)
 PM:気分転換に掃除と洗濯
     自宅にて事務作業
   夜:急遽極秘任務へ出動


町は今眠りの中

あの鐘を鳴らすのはあなた、と歌ったのは和田のおんちゃん ……違う、おばちゃんでしたっけ。
しかし、眠りの中にいたのは私、たっちーです。

昨日の朝、前日に引き続き雪が降り、平時以上に運転の危険性が高まったとして2度寝、午後に起き出し栄養を摂取するもまさかの3度寝、次に目を覚ました時は夜の9時を過ぎていたことを正直に告白しました。

丸一日寝て過ごしたら、翌日はさすがに朝早く目が覚め……るとは限らないんですよ!
はらたいらさんもビックリだよ。

甘いものでも見て
気を取り直そ

一度目覚まし時計を強打した記憶はかすかにあれど、意識がはっきりしたのは正午前でした。

ヤヴァイ、これはまじでヤヴァイ。 
(結果的な)連休を全て寝て過ごすとは、GOMIだ!

てんで、重たい体を必死でオフトゥンから引き剥がし(天の力?)、着替え・栄養摂取で一日を無理にでも始動、空気以外のもろもろも淀んでいると判断し掃除・洗濯で悪い流れを断ち切ります。

やらねばならぬことは分かりつつ、週明けでもいいか……と積みっぱなしの仕事に手を伸ばしました。
なんてこと、ブログにわざわざ書く必要があるのかしら? 
いや、私のようにひどい休日を過ごしてしまった人が万が一いたら、何かしらの励みになるかもしれませんもの…… うん。


むかーし、むかし

で、ちょっとは面白いことを書こうじゃないのってんで、現在リサーチを進めている、昔々の窪川のまちについてです。
なお、画像は写真集「くぼかわ今昔」(窪川町企画課・RKCプロダクション)より。

見覚えのある店名も

こちら、昭和初期の市街地の案内板です。
「美馬旅館」さんや「市川文光堂」さんなど、移住して半年の私でも分かる名前もあれば、すでに廃業しているところも多数ですね。
また、さすが米どころ、以前は4軒ほど造り酒屋があったそうですが、今は文本酒造さんだけが唯一残っています。
書いてある内容や表現もちろんですが、看板やポスターって、フォントやデザインも味があって見所満載。
異なる時代の人々が、どんなものに魅力を感じたり、何を娯楽として楽しんでいたかに思いを馳せるというのは、楽しいものです。

戦前、東又や大井野では航空ショーが行われたそうで、女性パイロットの写真も残っていますし、他にも終戦直後、町内ではユニークなグループも結成されていました。

よくよく見ると

その名も「禿頭会」では、

1、ハゲタ奴は鍋ズミを濡れ
1、鏡は近目だと言え
1、歯が抜けたら歯医者へ行け
1、としを問ふ奴があったら馬鹿と怒鳴ってやれ
1、はなタレ等に負けるな

等々の会規(?)があったそうな。

また、約20年ほど前から、 街の生んだ幕末〜明治の偉人・谷干城を讃える街頭ミュージカルが上演されていますが、「町民による町民のための演劇」は戦前にもあったようです。

本格的だぞ

昭和5年、今は休校となっている家地川小学校で、青年団による素人芝居が上演されたとのこと。
白黒写真ながら、衣装・メイクはかなり本格的なものだったのだと分かります。

もちろん、まちの歴史は明るいものばかりではありません。
中心市街地はかなり低い土地のため、度々水害に見舞われてきたといいます。
(最近では2014年の夏、どっぷりと浸かってしまったと周りの方々からしばしばナマのお話を聞きます)

水が引いたあとの
処理を考えたくない

昭和38年、台風9号がまちを襲い市街地の大半が浸水、被害総額は18億円に上ったそう。
(流出8戸、床上浸水824戸、全壊10戸、半壊58戸……と聞くだけで恐ろしい。)

これだけの被害が出たら、お金はもちろんですが、【しつくろう】のにどれだけの時間がかかったかと思うと、ここ数日の雪然り、自然の脅威について改めて考えさせられます。

てんで、本日の高知ことば【しつくろう】は家や建物を【補修する】という意味で使われます。
  例)あっこの建物はあちこち雨漏りしゆうろ、そろそろ【しつくろわん】といかんね。

さて、夜は急遽、極秘任務が……?
ほんじゃーに!

0 件のコメント:

コメントを投稿